シシュホスの岩にはしない
司郎の独白というかなんというか。
私は、「生きていてはいけない子」らしい。
何故かは知らないが「生きていけはいけない子」と母と父が言っていた。唯一、兄さんだけが私の味方で、いつもいつもかばっていてくれた。
幼い頃の私はそれがうれしかった。同時に、兄さんまで私のように言われてしまうのではないか、怖かった。
「…にいさん、わたしのことなんてほっといていいですよ」
「そんなことできませんよ。だってしろーはわたしのたいせつなおとーとなんですから」
そう言って微笑みながら私の怪我の手当てをする。兄さんは囲まれて殴られたりしていた私を助けてくれた。
…本当に、申し訳ない。
その頃、自然災害が多く、それが私のせいだと思われているらしく暴力は多くなった。そのたびに兄さんは私をかばってくれる。
たしか、このころからだったと思う。
自分に生きる意味を見いだせなくなったのは。
「司郎君司郎君!クッキーあるよ一緒に食べよう!」
「いりません徹雄さんが全部食べればいいじゃないですか」
「食べきれないんだよー!ねえ食べよう!」
「いりません。兄さんとか恭也を誘えばいいじゃないですか」
時間の流れは早い物で、私は子供から大人になった。色々あり子供のころに今私を誘った徹雄さんと向こうで恭也とゲームをしている淳さんに私と兄さんは拾われ、このよくわからない近くの警察の内部組織のような組織、チームアラートで救護班として働いている。
時々戦闘にも携わるが、それで死んでも別にいいと思ってるし死ねるものならさっさと死にたい。
「あんた何してるんですか」
ある日出会った、自虐的な人。
自分を見ているようで、不愉快だ。
「そんなことしてる暇あるのならもう少し何か前向きなことでも考えたりすればいいでしょう?」
その性根を叩き直してやる。死ぬのはその後でも遅くないだろうから。
シシュホスの岩にはしない
(やっても無駄なんてまだわからない。絶対に叩き直してやる)
というわけで毎日会いにいってるのです。
シシュホスとはギリシャ神話に出てくる永遠に岩を運ぶ罰を受けた巨人で、シシュホスの岩とはやっても無駄、という意味らしいです。
死にたがり司郎は多分だんだん死にたがりじゃなくなる…はず